まもなく北海道新幹線開業から10周年という、
大きな節目を迎えますね。
振り返れば2016年3月21日の、
青森駅での急行はまなすラストランでは、
発車と同時に「津軽海峡冬景色」が流れ出したため、
鉄道マニア一同大合唱し、
別れを惜しんでいる光景を目の当たりにしました。
ラストランで曲が流れれば、
歌わなければならない暗黙のルールがあるのでしょうねw

さて、JR東日本では2026年7月1日に、
大幅な組織改正を実施。
既存の支社体制を解体し、
新たな事業本部を各都県に設置します。
それに伴い、我が青森エリアには、
青森事業本部が新設されることになりましたが、
ここでは、JRへ民営化後、
実に36年間にわたって、
青森エリアの路線を管轄してきた、
JR秋田支社及びJR盛岡支社の、
激動の変遷を簡単に振り返ってみようと思います。
JR秋田支社の主な変遷
| 年月日 | 実施事項 |
| 1950年(昭和25年)8月1日 | 国鉄の組織再編に伴い秋田鉄道管理局を設置。 |
| 1984年(昭和59年)11月1日 | 黒石線を弘南鉄道に移管。 |
| 1987年(昭和62年)4月1日 | 民営化によりJR東日本東北地域本社秋田支店になる。 |
| 1990年(平成2年)4月1日 | JR東日本秋田支社となる。 |
| 1993年(平成5年)6月21日 | 奥羽本線に701系電車を導入 |
| 2007年(平成19年)7月1日 | 奥羽本線新青森駅以東を盛岡支社に移管。 |
| 2023年(令和5年)5月27日 | 青森エリア10駅にて、ICカード「Suica」の利用を開始。 |
秋田支社管内ではこれまで、
青森エリアの奥羽本線新青森駅以西、
及び五能線を管轄してきました。
大きな動きとしては、
やはり当時の国鉄黒石線を、
弘南鉄道へ移管したことですかね。
国鉄線を私鉄へ譲渡したケースは、
全国でも類を見ないもので、
当時注目を集めていました。
しかし1998年には廃線となったため、
JR秋田支社が管轄していたのは、
実質8年程度とかなり短い期間です。
また、18きっぱーからの評判がよろしくない、
走るんですこと701系電車を、
東北エリアでいち早く投入したのも秋田支社。
客車時代を終わらせた”キーマン”でもあります。
そして2023年には、
奥羽本線弘前~青森間でsuicaが利用開始となり、
現在に至ります。
JR盛岡支社の主な変遷
| 年月日 | 実施事項 |
| 1950年(昭和25年)8月1日 | 日本国有鉄道盛岡鉄道管理局が発足。
青森支店:鉄道管理局制発足で青森管理部の鉄道管理業務を、新設の青函鉄道管理局(函館)に編入。営業業務は青森地方営業事務所に分離。 |
| 1951年(昭和26年)12月5日 | 国鉄津軽線青森駅~蟹田駅間が新規開業。 |
| 1952年(昭和27年)8月5日 | 青函鉄道管理局青森地区(東北線千曳~青森間、大湊線、津軽線)を編入。 |
| 1958年(昭和33年)10月21日 | 津軽線蟹田駅~三厩駅間開業。 |
| 1971年(昭和46年)2月1日 | 八戸駅を本八戸駅に改称。4月1日:尻内駅を八戸駅(2代)に改称。 |
| 1987年(昭和62年)4月1日 | 民営化によりJR東日本東北地域本社盛岡支店となる。 |
| 1988年(昭和63年)3月13日 | JR北海道海峡線が開業。津軽海峡線として津軽線との直通運転を開始。 |
| 1990年(平成2年)4月1日 | 盛岡支社に改称。
青森支店:盛岡支社青森支店となる。 |
| 1996年(平成8年)3月30日 | 701系電車を東北本線盛岡~青森間に導入。 |
| 2002年(平成14年)12月1日 | 東北新幹線盛岡~八戸間延伸開業。東北本線のうち目時~八戸間を青い森鉄道に移管。 |
| 2010年(平成22年)12月4日 | 東北新幹線八戸~新青森間延伸開業。東北本線のうち八戸~青森間を青い森鉄道に移管。 |
盛岡支社ではこれまで、
青森エリアの東北新幹線をはじめ、
津軽線、大湊線、八戸線を管轄してきました。
尚、現在の青森支店は盛岡支社傘下であるため、
青森支店の変遷も載せています。
大きな動きとしては、
まず津軽線蟹田~三厩間開業。
しかしながら2027年に廃線となるため、
70年弱という短命に終わってしまう区間となりました。
今後はわんタクをはじめとした、
新たな自動車交通を運営するため、
JR東日本管内では史上初となるNPO法人を立ち上げ、
津軽半島北部一帯の交通運営に携わることとなります。
またJR北海道の海峡線開業に伴い、
津軽線との直通運転が始まりました。
これまで「はつかり」や「スーパー白鳥」をはじめ、
数多くの寝台特急が津軽線を走っていきましたが、
北海道新幹線開業により、
再び普通列車しか走らない一ローカル線となりました。
そして、東北新幹線開業により、
目時~青森間が東北本線から青い森鉄道へ移管されたのは、
大きな節目と言えるでしょう。
当初は利用者数が芳しくないという理由で、
経営分離されましたが、
青い森鉄道と青森県による緻密な経営戦略が奏功し、
特に青森市内区間をはじめ利用者数が増加しています(尚IGRも同様の現象)。
そして、これを機に奥羽本線新青森駅以東が、
盛岡支社管内に移管されましたが、
これは言わずもがな、
利益の大きい新幹線が開業したことで、
秋田支社と盛岡支社による覇権争いが勃発したのですw
先述の通り、当初新青森駅は秋田支社管轄でしたが、
争いの結果、盛岡支社に軍配が上がりました。
なぜ盛岡支社が奥羽本線に介入してきたのかは、
これらの経緯があったというわけです。
参照:JR函館支社の主な変遷
| 年月日 | 実施事項 |
| 1950年(昭和25年)8月1日 | 青函鉄道管理局設置。所管区域は、東北本線千曳以北及び奥羽本線津軽新城以北の路線、函館本線森以南の路線、青函航路、小湊航路。 |
| 1952年(昭和27年)8月5日 | 青森県内路線(桟橋を除く)を盛岡局に移管。 |
JR函館支社の前身として、
青函鉄道管理局が設置されていました。
当初は東北本線千曳以北、
及び奥羽本線津軽新城以北の路線であり、
青森県内にありながら実質JR函館支社が掌握していたのは、
奥が深いですね。

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