2020年12月4日をもって全線開業から10周年を迎える青い森鉄道。
ということで今回も昨日に引き続き青い森鉄道大研究会をやっていきましょう。
ちょっと順序が逆になるかもしれませんが、
パート4では「そもそも経営分離って何なのか?」
「なぜ東北本線から経営分離されたのか?」
といった根本的なお話について解説していきたいと思います。
では本題へ入りましょう。
最初の記事でも若干触れたと思いますが、
青い森鉄道は2002年(平成14年)12月1日のJR東日本の東北新幹線盛岡~八戸間開業と同時に、
JR東日本から東北本線の一部を譲渡された形で登場しました。
続いて2010年(平成22年)12月4日の東北新幹線八戸~新青森間開業の際には、
東北本線八戸~青森間も譲渡され、
その区間も青い森鉄道に移されました。
これがいわゆる「経営分離」というものです。
では、なぜJR東日本から経営が切り離されたのでしょうか?
その理由としては、
第一にJRが利用者数が少なそうだと判断したためです。
もともと東北本線時代では、
普通列車よりも特急を利用して八戸~青森間を通して乗車する長距離輸送客が多かった反面、
短距離輸送(例えば八戸~三沢間など)に関しては利用者数が少なかったのです。
今でこそ青い森鉄道が色々と工夫を凝らした結果、
利用者数が徐々に増えつつある青森市内区間(青森~浅虫温泉間)ですが、
当時の東北本線時代では、
何と朝の通勤通学時間帯でさえ普通列車が1時間に最大2本しか走っていなかったというポンコツぶりです()
少なくとも県庁所在地であり市街地のど真ん中を線路が通っていたにもかかわらずですよw
さらに青森市内区間以外では特急列車しか走らない時間帯すら存在していた有様です()
このように当時は特急列車のほうが利用者数が多かったため、
長距離輸送がメインとなっていたのです。
そのため長距離輸送客は東北新幹線が開業すると、
青森から八戸、東京方面へ移動する際(またはその逆)は、
所要時間が短い東北新幹線を利用することになり、
わざわざ所要時間が長い東北本線(在来線特急)を利用する機会が無くなったというわけなのです。
また、盛岡以北の東北新幹線というのは、
「整備新幹線」という名目で建設されました。
これは、端的に言えば利用者数が多く見込めない地域に新幹線を引っ張ってくるため、
東海道新幹線のような利用者の多い線区と同じ条件で建設するのには不利であるからです。
しいてはそれを受け持つのもJR東日本であるため、
東北新幹線と東北本線の両方を維持するためには大きな負担となってしまいます。
その問題を解決するために誕生したのがこの整備新幹線という法律です。
これには東北新幹線を建設する代わりに、
東北本線は負担となるため他の鉄道事業者に譲るという条件が適用されています。
要は「何か(=新幹線)を得るためには、何か(=並行在来線)を捨てなければならない」という感じですね。
従って盛岡以北の東北本線は採算性が見込めないだろうとJR東日本は判断し、
岩手県内区間である盛岡~目時間はお隣のIGRいわて銀河鉄道に、
青森県内区間である目時~青森間を青い森鉄道に譲渡したのです。
そして新幹線が開業した暁には、
在来線特急の運行については原則廃止となります。
これは、新幹線についても同じ特急のカテゴリーに入るからであり、
新幹線と在来線特急がほぼ同じルートを通る”二重の運行”となるためです。
実際に新幹線の定義を調べてみると、
「その主たる区間を列車が200キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」
と書いており、
あくまでも「高速走行するために既存の在来線では限度があるから新しく線路を敷く」
という意味になります。
従って基本的には新幹線も在来線特急も同じ特急の扱いであるため、
利用者数が少ない場合は経営分離して”二重の運行”を回避するのです。
↑イメージで表すとこのような感じですね
ということで今回は青い森鉄道がJRから経営分離されたワケについて解説しました。
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