【安方町は本当に空白地帯?】知られざる明治の青森駅建設物語 青森町時代の駅構造について

【安方町は本当に空白地帯?】知られざる明治の青森駅建設物語 青森町時代の駅構造について

今回も、「よぐわがる青森の鉄道#12:青森駅建設物語」

をご覧いただきありがとうございます。

今回は明治時代のお話なので、

当時の青森駅についての資料探しにはつい時間を要してしまった。

ここでは、尺の都合で動画本編で扱いきれなかった、

当時の青森駅の駅構造についてと、

青森町の市街地の様子についてご紹介したいと思う。

開業当初の青森駅は2面4線でシンプルな配線であった

上図は明治28年現在の青森駅構内の配線や駅構造を大まかに表したものである。

これについては、

青森市史編集委員会(2014)『新青森市史 通史編第三巻 近代』と、

青森駅開業百周年実行委員会(1991)『青森駅百年史』に詳しく載っている。

明治28年ということは、

青森駅が1891年(明治24年)9月1日に開業したので、

その4年後ということになる。

当時は青函連絡船もまだ運行されていなかったので、

貨物列車などを船内に運搬するための線路が敷かれていない。

また、このころは東北本線(正式には当初は路線名が付与されていなかった)のみしか走っていなかったこともあり、

配線が最盛期の頃と比べてとてもシンプルで分かりやすい。

因みに青森駅が最も輝いていた昭和中後期ごろの配線はとても複雑であり、

まるでバーコードのような雰囲気を漂わせているほどだ。

そして図をご覧いただくと分かるように、

当時の青森駅は2面4線しかなかった。

これも先ほどと同じ理由で、

開業当初は東北本線しか走っておらず本数も少なかったので、

2つのホーム(4つの乗り場)でも事足りたのであろう。

なお、もう一つのホームが完成するのは、

津軽線が開業する時期になる。

また、現在の青森駅舎は駅本屋から跨線橋が伸びているのに対し、

初代青森駅舎は跨線橋と駅本屋が別々になっており、

互いのホームをこ線橋でつないでいるという、

一般駅の構造と同じスタイルであった。

なお、このころは西口も置かれていないのが分かる。

当時の青森町の市街地は狭くやや東寄りだった

次に当時の青森町の中心部のマップをご覧いただきたい。

こちらも青森市史編集委員会(2014)『新青森市史 通史編第三巻 近代』を参考に、

大まかに再現したものである。

当時は今ほど人口が多くなかったので、

このころは青森町としてスタートしたのである。

マップの道路(黒い太線)を見ると、

概ね本町のエリアは今になってもある程度の原形を保っているのが分かる。

そして、動画本編でお伝えしたように、

青森駅は安方町に置かれた。

安方町は沖館村と書かれている上らへんにある地域だが、

マップを見てのとおり道路すらろくに整備されいない空白地帯である。

沼のような形をした描写もあるため、

いかに安方町は何も開発の手が加えられていなかったところであることが伺えるだろう。

当時青森駅が安方町に置かれると聞いて、

誰もが予想だにしなかったというのは、

このマップを見て納得である。

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